作曲家・アレンジャーとは
安達たけし
作曲家・アレンジャーと呼ばれる人には、実に様々なジャンルが存在します。舞台やミュージカルの音楽監督、映画やドラマなどの音楽制作、企業向けCMの音楽制作、アーティストへの楽曲提供、ゲーム音楽制作などなど、数えればキリがありません。
そんな多種多様なジャンルにおいても作曲家・アレンジャーになるならば、これらだけは押さえておきたい共通の基礎部分・があります。ここでは私、安達たけしが作曲家・アレンジャーとして考えるその項目を提示してみます。
音楽知識に秀でた存在
依頼を受けての楽曲制作は、自分本位で作る楽曲と違い、様々な表現方法を知らなければ対応できません。さらにそれが舞台や映画などの挿入曲などに内容が及べば、単純な和音などでは表現できない場合も起こりえます。
それらに対応するために、ありとあらゆるコードやスケールにおける知識を身に付け、また、それらを使いこなすためのヴォイシングの技法、対旋律の技法などの高等音楽理論を必要とします。
作曲家・アレンジャーは、ミュージシャンという枠組みの中でもっとも音楽知識に秀でた人材であることが重要です。
パソコンは道具でしかない
昨今、DTMやDAWの普及が目まぐるしく、容易に自宅で音楽制作ができる環境が整いつつあり、またサンプリングCDなどの進歩により、切り張りによる音楽制作も可能になりました。
これは大変、素晴らしいことですが、反面、それが音楽の軽視化に繋がったり、音楽の本質を見失う危険性を持つ傾向があるとも言えます。
パソコンは、いわゆる楽器と同じく音楽を奏でる道具でしかありません。いくら道具が立派でも音楽そのものの知識がなければ音楽を制作することはできないというのは容易に想像が付くかと思います。
例えば、パソコンの使い方がプロ並みでも「ドレミ・・・」は知らないという人がいたら、その人は音楽が作れる人と言えるでしょうか?
そのような音楽知識のないままパソコンを操り制作した音楽は、どこかで音楽の確信的な部分が不足して結果、音楽自体に不協和音やリズムのズレなどが生じることが多々あるでしょう。
また、いざ生楽器での作曲やアレンジを求められた時に音楽知識がなければ、それに対応できず他のミュージシャンに迷惑をかけることも典型例として存在します。
「パソコンは道具でしかない」という観点から音楽に携わるのであれば、そのパソコンを楽器として使いこなすための音楽知識を身に付けなければいけないのは、ミュージシャンを名乗る上で最低限のマナーと言えるでしょう。
楽器を弾く心を忘れるな
作曲家・アレンジャーの中には、創作活動に没頭するあまり、楽器を弾くのを辞めてしまったり、または、「自分は作曲家・アレンジャーだから楽器を弾く必要はない」という観点に立つ人がいます。
しかし、プレイヤーの気持ちが分からない人に、はたして、いい曲やいいアレンジが作れるのでしょうか?音楽制作には、数多くの人が関わり、その中でもプレイヤーとの関係は特に大事です。
例えば、譜面の書き方一つ取っても、そこには「作曲家・アレンジャーにとって読みやすい譜面の書き方」と「プレイヤーにとって読みやすい譜面の書き方」の二通りが存在します。
自分自身だけが読む譜面であれば、自分の読みやすいように書けばいいですが、プレイヤーにとって読みやすい譜面を書くには、プレイヤーの気持ちが分からなければいけません。
プレイヤーの気持ちが分かるとは、つまり自分自身がプレイヤーであることなのです。自分自身をプレイヤーの立場に置き換えられる人は、レコーディングにおいてもライブにおいてもスムーズにコミュニケーションを取ることができます。
楽器が下手でも構わないのです。要は自分がプレイヤーである認識を保つために、楽器を弾くことを創作活動と同等それ以上に扱うことが大事なのです。
作曲家・アレンジャーとは、楽器を演奏するプレイヤーという立場とは、また違った視点でのミュージシャンと言えるので、その思考もそれに添った別の視点を持つ必要があります。
これから作曲家・アレンジャーを志すミュージシャンには以上を参考に将来を目指してもらえればと願っています。